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キリストと皇帝


    

  ここにナルテックス入口のモザイクに興味深い絵があります。


  DSC_0022 (5).JPG



 いろいろな本の説明によると、キリストの前に触れ伏す皇帝とあります。


 ビザンティンについての碩学、尚樹啓太郎氏が明快に説明されている。

 それによると、この皇帝はレオン六世であるという。

 そして氏はレオン六世について、「彼はその学識と内政上の功績によって

 ソフィス(賢者)と称された人物で、教会や神学にも関心が深く、敬虔な

 君主であった。このモザイクは、おそらく彼が聖堂に奉納したものであろう

 と述べられている。まったくもって、明快である(注)


 これまで、この聖堂(アヤソフィア)のモザイクに登場した人物を紹介して来ました。

 今回のモザイクをもって教会内部のモザイクについては終わりたいと思います。


 さて、モザイクといえば、幸いにも自分はこれまで、ラヴェンナで聖ヴィターレなどの一連の

 素晴らしいモザイク。そしてシチリアにおけるノルマンのモザイク(モンレアーレ大聖堂)

 そして何といっても無視できない、ヴェネツイアの聖マルコ大聖堂など観覧して来た。

 どれも、これも素晴らしかったが、そのもとはといえば、やはりビザンティンのモザイク

 であろう。それが出発点であると言える。

  (注:尚樹啓太郎著 東海大学出版会)

 

 

 


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コンスタンチヌスとユスティニアヌスの時代

 

     さて、前回コンスタンティヌスとユスティアヌスの肖像をお送りしました、



     DSC_0046 (12).JPG


  それは、一つはまさしくコンスタンティが聖母に都市を捧げる図でした、

 つまり都市とはコンスタンティヌス大帝によるコンスタンティノーブル

 遷都を指し(33O年)


 



     DSC_0046 (11).JPG


   この図は、アヤソフィヤを建設したユスティニアヌス帝を

   示しているというわけです。


  とりわけ、コンスタンティヌスはいうまでもなくキリスト教を公認、

 またコンスタンティノーブルに都市を遷都した大立役者だったわけです。

 そういった歴史上の人物が教会に祀られているということは興味深い。


 ヨーロッパで小生が歩いた、中世の教会でコンスタンチヌスらしい肖像

 を目にしたことが、ありますがそれはキリスト教を公認したことによる

 ある意味、聖人的な役割によるものであると思われます。


 アヤソフィヤはビザンティン全建築史の最高傑作と言われるがしかし、

 財政的には、ユスティニアヌスを破産に導くほどの負担であった(注)

 という。

  追記

 (上記にアヤソフィアを建築したのはユスティアヌスであるかのように記して

 いますが、正確には、何回かの火事で焼け落ちたりしてそのたびに建て替え、

 結局、再建したのはユスティアヌスであった。それは改修という

 より建て替えたに等しく、あらたに建て替えたに等しかったという)


 (注:ビザンチン美術 美術出版社)



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アヤソフィヤ内部② (イスタンブール・トルコ)


  前回に続いて、アヤソフィアの内部のモザイクをお送りします。


  DSC_0042 (9).JPG

  (聖母子) アプシスのモザイクである。 


  DSC_0046 (10).JPG

 (アヤソフィアを捧げるユスティにアヌス左と首都を捧げるコンスタンティヌス右)


      

    ビザンツの歴史上の人物が描かれているのは(下)、興味深い。


  (参考:初期キリスト教美術・岩波書店   ビザンツとスラブ 世界文化社)


  (アヤソフィアの内部は次回に続きます)

   

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アヤソフィアの内部①


 DSC_0026 (2).JPG

    


  ビザンティン全建築史の最高傑作

  

  ポール・メルルはその著「ビザンチン美術」の中でアヤソフィヤについて”最高傑作”と

  のべているが(注①)、まさにその内部は圧巻である。

 、その中央の大円蓋は

 DSC_0041 (2).JPG   

 大円蓋は地上54メートルの高さに位置し、巨石を積み上げ、その上に直径約33メートルの

 大円蓋をを6世紀のいう時代に築きあげたのである(注2)。その壁面には、大理石と

 モザイクで覆いつくされていたそうである。


 その壁面のモザイクのなかにキリスト像がある。それこそがアヤソフィヤつまり神、キリスト

 である。DSC_0028 (2).JPG

 

 この画像はオスマントルコの時代にモスクとして使用されたときに漆喰などで塗り込められたり

 したそうであるが、後年幸いなことに剥がす作業が行われ再び表面に現れたのである。

 それが現在の姿である、 

  
  (注①ビザンチン美術 美術出版社)

  (注②:尚樹啓太郎著コンスタンティノープルを歩く) 

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