コンスタンチヌスとユスティニアヌスの時代
さて、前回コンスタンティヌスとユスティアヌスの肖像をお送りしました、
それは、一つはまさしくコンスタンティが聖母に都市を捧げる図でした、
つまり都市とはコンスタンティヌス大帝によるコンスタンティノーブル
遷都を指し(33O年)
この図は、アヤソフィヤを建設したユスティニアヌス帝を
示しているというわけです。
とりわけ、コンスタンティヌスはいうまでもなくキリスト教を公認、
またコンスタンティノーブルに都市を遷都した大立役者だったわけです。
そういった歴史上の人物が教会に祀られているということは興味深い。
ヨーロッパで小生が歩いた、中世の教会でコンスタンチヌスらしい肖像
を目にしたことが、ありますがそれはキリスト教を公認したことによる
ある意味、聖人的な役割によるものであると思われます。
アヤソフィヤはビザンティン全建築史の最高傑作と言われるがしかし、
財政的には、ユスティニアヌスを破産に導くほどの負担であった(注)
という。
追記
(上記にアヤソフィアを建築したのはユスティアヌスであるかのように記して
いますが、正確には、何回かの火事で焼け落ちたりしてそのたびに建て替え、
結局、再建したのはユスティアヌスであった。それは改修という
より建て替えたに等しく、あらたに建て替えたに等しかったという)
(注:ビザンチン美術 美術出版社)
2019-12-16 08:28
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