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アヤソフィヤを訪ねる


  今回のトルコの旅で最も訪ねたかったアヤソフィヤ

 ソフィアとは、知恵の意で、またの名のアギア・ソフィアとは聖なる知恵、

 すなわち神そのもの、キリストそのものを指すそうである。


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 アギアソフィア聖堂は404年に焼け、415年テオドシウス2世のとき再建され、531年

 ニカの乱のとき、アギア・イリニ聖堂とともに完全に焼け落ちた。ユスティニアヌス1世は

 ニカの乱鎮圧後ただちに再建に着手。   しかしそれは再建というよりも、あらたなる建設と

 いうべきものっであった(注)。

    この偉大な建築物もオスマン・トルコの占領後モスクに転用されたのは、いうまでもない。

   なお、この聖堂は現在は博物館として公開されている。

 (内部は次回お送りします。

  (注:コンスタンティノープルを歩く 尚樹啓太郎著 東海大学出版会より)


 

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イスタンブールへ戻る

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  (古都イスタンブールの雑踏)

  

  昔、ここからイランへ向かった遠い道のりの出発地点イスタンブール。

 交通手段はバスのみ。その現役時代の思い出が蘇りました。

 いつかは、ここへ戻りゆっくりアヤ・ソフィヤ、ビザンティン時代のアギア・

 ソフィア聖堂を観てみたいといういう願いが叶い、しばし感慨に耽りました。


  (注:ヨーロッパ中世史の碩学橋口倫介氏は氏の著書(中世のコンスタンティノープル)

  の中で、ヨーロッパ中世の歴史概念には、普通東欧、中近東という東地中海世界が含まれて

  いないとしるされている)。

  

  

 

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ビザンティンの夢 


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  トルコを訪ねました。数回に分けてお送りします。 

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ノートルダム寺院 (フランス・パリ)


  悲惨な火事に見舞われたノートルダムを見学に

  出かけました。

  やはり大きなダメージを受けていました。

  当時(火災の時)、フランス大統領はすぐに復興

  に着手するべく動くような発言が見られましたが、

  現状を見て、残念ながら修復の完成には多くの時間

  が掛かりそうな気がします。

  


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 火災の模様は如何ばかりかと、多くの見物人が見られました。


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  やはりダメージは大きい。重症といった感じでした。

                                 


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  ここは、時間をかけて修復し、昔の姿に戻ることを願いたい。

  偉大なフランスの文化遺産。


  その修復の暁には、再び見学に訪れたいと強く思いました。


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